女性研究者の多様性イノベーション

  • 作成日:2018年03月27日 最終更新日:2018年03月27日
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データの種類 テキスト
データの変数(パラメーター)の変数名 女性研究者・技術者の置かれた状況
データの概要説明 イノベーションに寄与した女性研究者の語り
想定しているデータの分析・シミュレーションプロセス
想定しているデータの分析・シミュレーションプロセスの結果 (データ分析結果/ツールの出力/典型例など)
上記の分析・シミュレーションプロセス以外に期待する分析

その他

自由記述
入手したいデータ/ツール 物理屋は、複雑な現象から、そのエッセンスを抽出し、単純な法則を見出すことに魅力を感じる人種だ。もっともそれは人間誰しも持っている好奇心の現われだから、みんなそういう気質を持っているのではないかと思う。ただ、それを科学の対象としてさらに推し進めるノウハウを、研究現場でかなり鍛えられた物理屋は多いのではなかろうか。 それは物理屋の社会、つまり物理学者の集団の性格にもあるのではないかと思う。物理屋はお互いに批判することをよしとし、目的のために、老いも若きも、教授でも大学院生でも、そんな階層に関係なく平等に議論をするのが好きな集団である。しかし、またそれは物理学が今まで成し遂げてきた物質科学、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンに始まる力学から始まる物質の運動が、もっと広く恒星や惑星の運動までを、統一的に理解しようとする延々と積み上げてきた営みの中で鍛えられてきた伝統の賜物(たまもの)といってもいいだろう。 物理学は複雑に見える現象から偶然の要素を取り除き、本質を探っていた経験が長い。他の学問をけなしているのではない。物理学が今まで対象としてきたのが、物体運動の力学、電磁気の現象、波動の性質など、生物現象や社会現象に比べて比較的単純だったので、比較的容易に統一像が描けただけなのだが。 話を元に戻す。で、物理屋はある現象からある種の統一像を描くと、他の現象もそういう見方で理解できないかということを考えたがる。私たちが、交通流を始めたとき、「考えていけばきっとわかる」という信念に支えられて進んだような気がする。交通流を物理学的視点から最初に問題提起したのは、寺田寅彦である。「電車の混雑について」という「思想」という雑誌に載ったエッセイである。私は素粒子論の専門で、正直言うと、少し前まで「寺田物理」というと、「盆栽物理」というか、趣味の研究で、プロのやることではないといったカルチャーがなかったわけではない。ああいうのは、物理の第一線からはみ出した研究者の仕事だといった雰囲気がないわけではない。もっともそれには多少の理由があるにはある。まだ学問の領域として成立していない分野を研究するには、本当はそれなりに覚悟がいる。科学の領域として成立するには、好奇心とあいまいな枠組みでは本当のイノベーションはできない。そこには、核心を突く方法論の提案があり、新しい学問の発展を予想させる芽がすでに吹き出していないと、単なる趣味の域を脱しえないのだ。楽しんでやる物理をプロの仕事にしようというスタンスがどこまであるか、を問われていると言ってもよい。 そのカルチャーを変えてくれたのは、やはり、愛知大学の教養部でいろいろな研究者に出会い、学生たちの好奇心に目を見張ったことが大きく影響したからだと思う。そんなわけで、私は交通流の研究に飛び込んだ。飛び込んでみると、この分野には、既に多くの先駆者がいる。寺田物理を物理学の対象に、という方向は、物理学の一分野として取り組まれていることを知ったのだから、私のような幅の狭い研究者が知らなかっただけなのだ。 さて、それにしても、既成の学問の学会の活動には、それなりの枠組みと方法論がその底辺で共通した認識となっていて、そこで発行される学術誌(国際的な視点を持った)で、レフリーにもまれて論文を出すということは、その領域で一人前になるにはどうしても乗り越えないといけない重要な修業である。プロの仕事とは何か、というのも難しいが、これができなければ、趣味で終わってしまう。 しかし、難しいのは、新しい分野の前線を見極める作業である。素粒子の論文なら、どこに出すか、出来栄えによって多少甘いジャーナル、評価の高いジャーナル、日本の存在をアピールするジャーナル、さまざまなジャーナルに、できた論文の性格と出来栄えを勘案して投稿する。投稿した後の方が問題で、レフリーのコメントに、しっかりこたえることもまた、研究の一環である。もちろん、それまでにも研究会や学会などで、仲間のコメントや批判を受けるので、それも大切な研究交流なのだが、掲載を獲得するためのレフリーとのやり取りは、もっとシビアである。 湯川研究所(京都大学 基礎物理学研究所)が世話をしているプログレス刊行会の雑誌、Progress of Theoretical Physicsがわれわれ素粒子論屋にもっともなじみのある国際誌であるが、このジャーナルに例のノーベル賞の対象になった朝永論文も掲載されており、他にもいろいろ有名な論文がある。この前身である数学物理学会の国際誌からノーベル賞につながる湯川理論が発表されたのも有名である。昨年のノーベル賞受賞対象となった小林・益川論文もまた、この雑誌に掲載されている。 このプログレスの雑誌の論文には、面白い逸話がある。ある地方大学の研究者が、素粒子の統一模型に関する論文を投稿した。それをその筋では優れた仕事をした研究者がレフリーをした。内容にはきらっと光るものがあるのだが、このままでは論文にならない。それでレフリーは、いろいろコメントしたり、間違いを指摘し、何度もやり取りした。著者は、それに誠実に答えていった。いわば、研究指導である。そして、最後に大変素晴らしい結果を得た。そして、この2人が共著で論文を書いたのである。 この話を京大基礎物理学研究所で行われた研究会で聞いたとき、私はとても感激した。研究者のあり方をまさに具現しているこの2人の共同作業に、拍手を送りたかった。研究会でのコメントもさることながら、自分の書いた論文の掲載を決定するのだから、どちらももっと真剣にならざるをえないのだ。それにしても、こんな例はまれだが、レフリーから学ぶことは、最大のチャンスであり、絶好の訓練を受ける場なのである。 さて、私たちの交通流の研究に戻ろう。私たちのもくろみは、高速道路の自然渋滞を、物理学の相転移現象とみて、ミクロな車の挙動から説明してみようというものであった。物質科学では、一見複雑に見える自然現象として、相転移現象がある。原子分子の多体系の示すなかでも、自発磁化・超伝導・超流動…といった相転移現象は、ある温度以下になると、物質のマクロな状態が突然変わるのである。例えば常気圧では接氏0度になると水は氷になる。つまり液相から固相に変化するのである。この現象を理解するのに、個々の原子分子の間に働く相互作用をもとに、高温の下では熱振動をしている原子分子が、温度が低くなって熱振動が弱くなった時に起こるマクロな状態の変化としてとらえる、という物理屋の視点はブレを生じない。 「たくさん集まると、ちょっとした環境の変化で、雪崩を起こすように、全体の様子が変わることがある」という「多体系の問題」の普遍的は現象として解明したのだ。とはいえ、その解明の道のりはそんなに簡単だったわけではない。 最初は、相転移といった現象は、「複雑系」という一言で片付けられ、単純な物理の枠組みでは取り扱えないと思われたのだ。この新しい現象を粒子間の相互作用によって誘起される多体系の特徴として統一的理解に成功した。磁性体をはじめとする物性分野でその枠組みが整理された(とはいえ、実は氷になる現象はまだ解明されていないらしい)。 中でも私の心をとらえるのは、相転移をより普遍的な物理法則「対称性の自発的破れ」で理解した南部陽一郎先生の話だった。ちょうど私が、大学院修士課程2年生のころだった。南部先生は、この相転移の枠組みを素粒子の世界に持ち込まれた。このことを最初に私に教えてくれたのは、のちに私の夫となった人であった。同級生だったが、私より広い視野で物理学を展望していたのかもしれないし、新しい風に敏感だったのかなとも思う。鈍感な私は、それを聞いてびっくりした。それは、見方を変えると大変単純で胸にすとんと落ちる話だった。ちょうと、高校時代、熱力学を学んだ後で、ボルツマンの気体運動論を学んで、目からうろこを味わったのと同じ感動である。そして、一緒BCS理論の勉強から始めた。 それ以後、このエクサイティングな自然の仕組みは、素粒子論では欠かせない概念として広く素粒子物理の基礎となっている。南部先生がノーベル賞を昨年、ようやくもらわれたのはいかにも遅すぎたと思う。 また話が飛んでしまった。ところで、原子分子の多体系から、生物にまつわる「個性のあるものの多体系」にまでいくと、果たして物理学の対象になるのかならないのか。この質問は大変興味深い。とはいえ、いきなり複雑な人間の多体系に一挙に飛んでしまっては、答えは出てこない。最も単純なシステムから始めるべし、である。その適切な素材が、交通流ではなかろうか。交通流では、個性を持つ運転者が主役だが、運転技術を訓練した人のみが運転できる(私などほぼ1年かけて自動車学校に通い免許をとった口だ)。その意味で、原子分子と多少似た性格を持っている。 交通流理論を始めたきっかけは、愛知大学教養部での専門以外の研究者との交流であるが、特筆すべきは、1988年度から始まった学内研究助成制度で共同研究を組むことに弾みがついたことだ。最初は、「情報処理教育の普及過程の研究」だ。 次が、1992年度の共同研究「Perl言語の紹介と応用」である。仲間と学問を話し合う機会を増やしたことで、ひょんなことから新しい研究の芽が生まれるという例である。 交通工学は、モータリゼーションの始まった1950年後半から急速に米国で発展した分野である。当時、これをミクロな立場からアプローチしたモデルとして「車両の運転者は、前方車両、特に直前車両の挙動によって、自分の車両の速度をコントロールする」という運動則から出発した追従モデル(Follow the Car Theory)があった。これは、車の挙動を支配する運動方程式は直前の車両の速度と自分との速度差を感じて加速減速をするというもので、Pipes,Newellなどによって提案された。後でレフリーとのやり取りから、この2人とも物理出身の研究者だったことが分ったが。 この追従モデルが、30年以上にわたって交通工学の基本方程式で、交通工学のテキストにも出ている。ところが、これでは実は自然渋滞を説明できなかった。この原因は、標準的な「追従モデル」の運動方程式では、ドライバーの反応の遅れ(タイムラグ)が出てこないからである。すぐ分ることだが、いくら車が混んできても、例えば電車のように連なっており前の車の動きをすぐとらえて動けば、すいすいと前にいける。高速道路での運転は、前車の動きに反応して後車が反応するので、少し遅れる。この遅れが実は自然渋滞への転移の機動力だった。 これに対して、われわれが導入した模型は、ニュートン方程式にもみられる「慣性」という形で反応の遅れを自然に取り入れた模型であった。さらに、運動の状態をシミュレーションしてみると、非線形理論特有のリミットサイクルが出ることを見つけたのだ。今までの取り扱いで決定的に欠けていたのは、Dynamics(動力学) と Kinematics(運動学) との分離という概念がなかったのではなかろうか。自由流と渋滞流の2つを別の現象と見るのでなく、「法則(運動方程式)」は同じだが、その系の環境や状況によって違った形に発現するという2重性、これがキーポイントだったのである。 もちろん、われわれは、この分野で「新参者」である。提唱したモデルが従来のモデルとどう違うかなどを検討するため、「Operation Research」のジャーナルを土木工学研究室に出かけて借り出し、みんなで逐一点検した。交通工学の教科書の総点検をする必要もあった。このとき、最も励まされたのが、当時京都大学を定年退職後、龍谷大学に移られた故山口昌哉先生の助言である。最初お会いしたのは、名古屋に来られたときであったが、このとき、「面白い」と激励していただいた。そしてすぐに龍谷大学山口研のセミナーで話を聞いていただく機会をつくってくださった。 考えてみれば、この助言と激励がなかったらこの仕事もちょっとしたお遊びでおしまいになったかも知れない。 こうして仕上げた長谷部・中山・杉山さんたちとの論文は、一流のジャーナルに投稿して評価を受けるべし、である。研究の成果を、プレプリント「Dynamical Model of Traffic Congestion and Numerical Calculation」(Aichi 93/1)としてまとめ、米OR学会誌「Operations Research」に投稿した。またパターン形成の解析を中心にした「Structure Stability of Congestion in Trafic Dynamics」(Aichi93/2)を、山口先生のご紹介で入会した日本応用数理学会のジャーナル誌(Japan Journal of Industrial and Mathematical Science)に1993年6月投稿した。記録によると、同年秋に開かれた応用数理学会で発表している。 学会での発表の意義は大きかった。この時、懇親会で、薩摩順吉先生にお会いした。開口一番、「実は京大工学部にいた時、保育所で保護者会の役をしていたので、素粒子の坂東さんという名前は知っているんですが、どういうご関係ですか?」ときかれ、「あ、その坂東です」といって2人で大笑いした。薩摩研究室でのセミナーで講演する機会には、ソリトンで有名な広田先生に議論いただいた。またセミナーで、鋭い質問をされる方がおられ、どなたかと思っていたら、かの有名な戸田盛和先生だとわかってびっくりした。異分野交流は発見が多くとても楽しい。 またその席で鋭い質問をした東大工学部計数工学科の学生から卒論で取り組んでいるので論文がほしいと請求があり、「どうして知ったの?」と聞いたら「学会でうちの先生が聞いたと教えてくれました」とのこと。やはり情報の発信の範囲を広げると思いがけない反応がある。それ以後この学生とたびたび議論をしたりデータや論文をいただいたりした。いただいた論文(越・東大教授研究グループ博士論文や修士論文)は、われわれの模型をさらに発展させ、データと付き合わせるのに大いに役立った。 また1994年1月には、統計数理研究所で「交通渋滞を起こす動的模型」というセミナーをさせていただく機会を得た。統計数理研究所はいろいろな分野の現象を独自の処方を使って解析する日本では珍しい研究所だ。愛知大学で統計や数的処理を教え始め、必要に迫られて手がけてきたデータ分析などを通じて興味を持った、かつての京大基礎物理学研究所がもっていたチャレンジ精神が満ち溢れている。同じく素粒子分野から情報分野に挑戦された先輩格(年は下?だが)の小柳義夫(応用数理学会長もされた)さんから紹介していただいた上田澄江さんに会いに1992年秋、はじめてこの研究所を訪れ、その後「多変量解析」の公開講座に生徒として参加した。その同じ研究所で講演の機会をいただいたのはうれしかった。 セミナーには、つくば市にある日本自動車研究所の方もお見えになった。「結果から見ると、渋滞発生してもあまり輸送効率は落ちないので、トラックの運転手のようによく知っている人はあせらないのだと思います」と言ったところ、「渋滞が発生すると、ストップ・ゴーを繰り返すので、排気ガスも多くなり燃料を多く食います」とのこと。素人の考えを反省させられたものだ。特にその日のセミナーのあと、ご一緒に食事をしてくださった伊藤先生や上田先生ならびに伊庭先生から得たものは大きかった。また東大生産技術研究所の尾崎先生との討論の機会を得て、情報網が拡がった。 新しい分野への挑戦はすべてが順調に進んだわけではない。特にせっかく投稿した最初の論文は数奇な運命をたどることとなる。 最初は、いったいどこに論文を出すべきかいろいろな可能性を考えた。最初に評価してくださったのは、山口昌哉先生だ。応用数理学会のジャーナルに出すのが最も確実だろう。こうして、第2論文は、新加入の応用数理学会のジャーナル(JJIAM: Japan Journal of Industrial and Applied Mathematics)に投稿し、掲載される運びとなった。 私たちは論文を書いてから、交通問題に関係するような話が出たら、チャンスを逃がさずできるだけ情報を得るよう努力した。また交通流関係の研究者を知っている人がいたら必ず紹介してもらうようにした。トヨタ自動車研究所の方をご紹介願ったこともある。「私はそれほどこの分野について専門家ではありませんが、ざっと読んだ感想では1レーン問題は1960年代に一応片がついています。その後の研究は多数のレーンのある場合、信号のある場合など複雑な系に移っているので、『古い問題』と思われる可能性があります」と言われた。 考えてみれば、最初に見つけた論文が載っていた「Operation Research」(OR)には、不思議なことに交通流の論文は1950年代後半から60年代たくさん見つかるのに、1867年以降は皆無である。これは、第1論文のreferenceをみて教養部の浅野俊夫先生や京大物理の九後さんにもすぐ言われたことであった。「これ以降何も調べられていないとは思えない」。研究者として当然抱く疑問である。やっぱりORに挑戦して確かめてみよう、古い問題でも新しい考え方を提案しているのだから、認められるかも知れない。すでに重要な貢献があれば素直に勉強し直すし、レフリーからコメントがあれば再考しよう。そうでないと、新しい分野に進出できない。新米のしかも日本からの論文だ。レフェリーが常に的確に判断してくれるとは限らない。でも、ともかく正攻法でいってみよう。 しかし第1論文は日の目を見るまでに実に1年もの時間を要した。OR編集者の一人プリンストン大学のパウエル教授あてに投稿したのは、1993年の1月のことだ。ところが3月になっても「論文を受け取った」という返事さえこない。少なくとも物理の世界では、論文のレシートカードがすぐに来るはずである。仕方なく手紙を書いた。1993年3月である。 論文を送って2カ月にもなるのに受領の知らせすらない。「届いているかどうか不安だ。eメールのアドレスを教えてくれないか」という問い合わせに対し、パウエル教授からeメールで5月18日に返事が来た。 「秘書が病気したので返事が遅くなったため、処理が遅くなった」ということだった。 論文受領の返事も書けなかったのかなとは思ったが、ともかくすぐに返事が来たのだ。待つしかない。しかし、これからが大変だった。何度eメールで催促してもいつも返事はまだの一点張りである。7月21日になってもう一度催促のメールを出した。 これに対しては、「レフリーからの返事では、このテーマは、ORの雑誌の範囲ではない。むしろTransportation Scienceが適当だろう。で、お望みならそちらのエディターもやっているのでフォワードしましょうか?」というものだった。 「何ということだ! 半年もたって『この雑誌はふさわしくないから他の雑誌に投稿しろ』だって。そんなことなら一目見て分かるはずじゃない!」。 私がコンピュータの前でぶつぶつ言っていたら、隣にいた英国人の研究員マークが、「これなら親切な方ですよ。怒らしたら通らないから丁重にお願いする方がいいですよ。僕が返事を書いてあげましょうか」と言ってくれたので、思い直して彼に頼んだ。 向こうは、いつもに比べて今度はうまい英語だと思ったに違いない。 さて返事。 「それではあなたの論文をTransportation Scienceにフォワードしておきます。ご存知かも知れませんが、この分野には、元物理屋さんで指導的役割を果たしている研究者がいますよ。ゴードン・ニューウェル(カリフォルニア大学バークリー校)とか、ボブ・ハーマン(テキサス大学オースティン校)です」と励ましているようにも見えた。 悪い人ではないのかな。思い直してよかったかな、とその時は思った。そして…。 論文転送の労をとっていただくお礼のメールを出し、それに対する返事ももらい、そしてまた2カ月たった。 今度はTransportation Scienceの編集者、ダスキン教授にeメールを出した。そして驚いたことに「そんな論文はわれわれは受け取っていない」という返事が来たのである。私はさすがに腹が立ったので、今度はマークに相談もしないでその場で即座にeメールをパウエル教授に出した。 「Transportation ScienceのProf.Daskinから論文など受け取っていないというeメールが来た。こんな扱いを受けるのは残念だ。すぐに返事してほしい」 これを見ていたマークは「怒らすのは損だ。もう出したのか?」と相変わらず低姿勢を忠告する。もう怒らしても仕方ないのではないか。私はeメールの“send”のボタンを押してしまったのである。返事などくれないかも知れない、と思っていたが、パウエル教授は「悪かった。秘書に頼んだのにトラブルがあって」。またまた秘書のせいにした。しかし「コピーが1つ残っているから必ずフォワードする」と約束してくれた。 今度は、すぐに対応してくれ、ダスキン氏から「受け取った」という返事が来た。こうしてやっと9月の終わりになってこの論文は正常なルートに乗った。ちょっと考えられないが、こんなこともあるのだな。 ここからは、普通の対応で、レシートカードが来て、2カ月後レフリーのレポートが届いた。答は「このままでは駄目だ」というものであった。「この分野での30年間の発展について全然リファーしていない」。膨大な量の回答で、「今までの模型でうまくいっている」という宣伝や、これまでの努力をどう思っているのかといった多少アンフェアなところもある。 この回答を非線形物理で活発にやっておられる早川尚男さん(現 京都大学基礎物理学研究所)がみて、「これは通らないよ。かなり抵抗があると思う」と言われた。前後するが、統計数理研究所でセミナーのあとの食事のとき、この話が出たら、「こういうのならPhysical Review E がいいですよ。Eは最近できた分野でnon-linear dynamics 全体をカバーしていますから」と伊庭さんが教えて下さった。これは、われわれの第1論文だから、どこかに公表したい。こうして投稿した第1論文は、1年遅れたが、ともかく雑誌(Physical Review E)に掲載された。物理学分野から抜け出せなかったことは今でも悔いが残っている。 ところで、「この仕事と今までの仕事の関係を明らかにせよ」ということと「このモデルが本当に現実を再現しているかどうかについての検討が何もない」というレフリーの指摘も当たっている面がある。なるほど。そういえば、その後の研究の動向をフォローしてないな、それに実際のデータとの付け合わせもまだしていないなあ。Transportation Scienceという雑誌も、実は再投稿する段階で調べようとしたがなかなか手に入りにくかった。でもやっぱり雑誌の性格も調べずに再投稿するなんてことは研究者にあるまじきことだ。あわてて雑誌の在処を調べた。 前に投稿したORという雑誌についていえば、名古屋大学の工学部土木工学科の図書室に2年間分だけあった。調べたが、全然こういう類の仕事に関連したものはない。むしろセールスマンの経路の取り方だの飛行機のタイムスケジュールだのというようなものが多かった。流行が過ぎて、もう古いと思われたのかな。ともかく、徹底的に調べてみることだ。やっと京都大学の工学部土木工学科の図書室でTransportation Scienceの全巻を見つけて、仲間の中西さんと調べにいった。そうしたらなんと1960年代に活躍していた名前が次々と現れた。どうやら1965年あたりから米OR学会は雑誌を2つに分けたようである。そしてOR関係のテーマはORに、輸送問題はTransportation Scienceの方に移したことが分かってきた。 何と回り道してきたことか。ともかく第1巻から現在まで約30年間の関係ありそうな論文を洗い出しチェックする作業からやり直しである。回り道であってもやはりここを通らなければならなかったのかもしれない。1994年1月、コピーした論文を分担して検討した。その結果、われわれのような考え方が決定的にこの分野では欠けていることを確認したのである。本当に残念だったのは論文がアクセプトされなかったことではない。たとえ新参者であろうとも、われわれの論文の新しい観点がレフリーに理解されなかったことである。 しかし、そのためにはレポートにあるコメントをどうしてもクリアしなければならない。この分野の人が分かる言葉で、そしてしかもわれわれの考え方が今までの扱い方に比べてより現実をうまく説明することを分からせることが必要である。それが新しい分野に参画するために払わなければならない入場料というものであろう。自分だけで満足しても仕方がない。面白い経験をしたことだけは確かで、その後、データと比較した論文や、「時間遅れ」を取り入れたと同じ効果が出てくるかどうかのチェック、そして数理解析を交えたさらに明快な説明を試みる論文など、数編の論文を出すことができた。いい勉強になった。 あれから、もう10年以上になる。一昨年(2007年10月)、交通流理論では有名なI.Gasser教授が組織したワークショップ「Traffic Flow: A Microscopic and Macroscopic Perspective」をハンブルグ大学Center for modeling and Simulationで開くので、「話をしてほしい」と招待された。ここ10年ほどニュートリノに集中して交通流から離れていたので、中山さんに「今ごろなんで来たのかな?」と聞いてみたところ、「僕も杉山さんもけっこう交通流の国際会議に出席していてみんなと知り合いだけど、坂東さんは行ったことないでしょう。僕らの模型は国際的に有名になっているので、坂東さんの顔もみたいのではないですか」と言われた。 杉山さんはこの分野ですでに国際会議も主催し、この分野の大御所になっているし、中山さん、菊池さん(阪大)、西成さん(東大)と一緒に仕事はどんどん続けておられる。最近も海外の新聞で取り上げられ「渋滞のメカニズム解明」と報じられたりしている。いい機会だ、最近始めた経済物理の仕事もまとまりつつあるので、それと一緒にして講演を組んで見たいなと思い、たった3日滞在のとんぼ返りで参加した。来年は定年だし、「最後に様子を見ようか」というわけである。 参加してみると、みなさん、われわれの模型をよく知っておられ、どの講演でも私たちの模型が引用される。しかもいろいろな形で応用されたり、模型を発展させたりしている。「あれは簡単でしかもよく合うので、みんな好きさ」とGasser博士は言う。「日本よりこちらの方であなた方のモデルは有名ですよ」などと冗談を言われた。もっとも、こういうことは、共著者の杉山さんや中山さんは、とっくの昔実感していたのだろうが、私はニュートリノの面白さに夢中になっていて、こうした国際会議に出ていかなかっただけだったのだ。この分野では、彼らはもう、リーダー役になっているのだから。 交通流の研究の後、しばらく素粒子物理に戻っていたが、あの時作った模型の考え方はいろいろな現象に使えるのではないかという気持ちはずっとあった。生物の進化の話、社会現象での世論の動き、イノベーションの普及過程、いろいろなところで似た現象がある。考えてみれば、物理学が宇宙や生物などの対象にもかかわりだした歴史は、そんなに古いものではない。日本では、湯川秀樹先生が、物理学の対象を広げ、未知の分野を開拓する精神の象徴として、京都大学基礎物理学研究所が設立されたのだと思う。 だが、基礎となる経常研究費がどんどん少なくなり、競争的資金を獲得しないと、日常研究さえままならないのが現実だ。今の研究費配分の犠牲になって、目の前の短期的な研究成果と、研究費申請関係の書類の山をこなすのにあくせくと時間を使わねばならず、「なんでこんなに忙しいのかなあ」と悲鳴を上げている現状では、果たして、狭い研究対象に閉じなかった湯川精神は、生き続けていけるのだろうか。何かかなしい思いがする。 それはともかくとして、湯川先生は、人間の多体系の問題、社会科学は専門外として社会科学者に委ねられたように思える。ある意味では、湯川精神にも、ある種の限界があったのかもしれない。 一方、歴史を振り返ると、もっとスケールの大きな物理学者は存在していたようである。ちなみに、社会物理学という概念は、1835年に、ケトレによって提唱されているらしい。ケトレといえば、統計学の大御所であるが「社会物理学」という著書があるという(実は残念ながらこの本を見つけることはできないのだが)。 また、気象シミュレーションを、最初に試みたリチャードソンは、気象学が戦争の道具として使われることに反対してそれまで勤めていた気象台長を辞任したらしい。そして、国際紛争を科学の対象として定式化しようと試みたそうだ。また、リチャードソンは戦争の原因に関しても統計的な分析を行ったそうである。 社会現象をミクロな立場から扱った本がある。A Micro-Social Theoryである(注)。ここでは、経済的現象を取り扱うのだが、取り扱う量は、goods(生産物:G) Interest(持ち株:R)といった量を金額に換算してそれを解析するのである。ただ、この理論では、動きを決める原理がない。私たちの模型は、これに動的な考察ができるようになっているような気がしている。さらに、このGとしては例えば投票行動・世論の動きなどをとれば、経済活動だけでなく幅広い現象に応用できる。こうした仕組みを入れると、社会のマクロな集団運動が起こる現象が動的に分析できるような気がする。さらにいえば、われわれの模型は、個体の反応における「慣性力」を取り入れているので、人間の迷いみたいなものもうまく入ってくる。これから膨大な領域でこのような手法が有効ではないか、と夢は膨らむ。 最近始めた経済物理学の仕事は、その最初の試みである。これもひょんなことから始まった。きっかけは、文系に分かるテキストが欲しいということから始まっている。愛知大学で、微分も積分も知らない文系の学生に統計を教えるために、教科書を作ろうと呼びかけて、「統計グループ」を結成したのは4年前である。経営学部の齋藤毅さん、岩田さん、藤井さん、と非常勤講師をしていただいている物理屋の谷口正明さんと5人で意気投合して1年かけて作った。これが結構うまくできていて、学生たちがよく分かるという。 彼らはこれで統計の勉強を始めたのだから、統計はやさしい教科だと思っているのが面白い。私もこのテキストで教えてみて、254人の統計基礎のクラスで113人が90点以上を取った。試験がやさしすぎるのだろうと思われるかもしれないが、そんなことはない。まあ、こんな自慢話をしてもしようがないので、やめにして、このテキストのなかで、経営の藤井先生が、グラフの説明に、わが国の国民総生産(GDP)と景況指数の年変化のグラフを提示なさった。それを見ていて、「この2つどういう関係があるの?」と聞いたら、「いやあまり関係があるわけでもありません」と言われた。その後、谷口さんと「せっかく一緒にテキストも書いたのだし、何か仕事をやりたいね」という話になったのである。 あるとき、谷口さんが、「GDPそのものではなくGDPの年ごとの差&DeltGDPが景況指数と関係しているような気がする」と言ってグラフを見せてくれた。生産量は景況指数(DI)がよければ増産に転じるし、悪ければ抑えられる。何か、後先になって関係しているな、そうすると何か前の模型が使えるかもしれない。そういうことから調べてみようということになった。けっこう難しいところがあったが、多少見込みが出てきた。交通模型を一緒にやった中山さんが2007年度に琉球大学から名城大学に移られ、近くになったので相談に出かけた。中山さんは、スマートで、ものすごく理解力が深い。たのもしい仲間を見つけてこの仕事は加速した。そして、動的景気循環模型が完成したのである。 今度は、論文の投稿先をはっきり決めていた。物理学会のジャーナル「JPSJ」である。さらに、「経済現象に保存量があるか」という第2弾の論文も最近できあがった。 今では、経済現象に、物理法則がなぜ適用できるかについて多少の考えがまとまってきた。経済社会では、個性のある人間といえども、ルールにのっとって活動しないと経済社会から落ちこぼれるので、結局、運転免許を取るのと似た「経済免許をとる人間の多体系になっている」ということを認識したのである。だから経済も物理学の処方が使えるのだ。 20世紀は、個別科学、物質科学・生命科学・宇宙科学、工学や医学、の個々の進化の時代であった。21世紀になって、環境問題、安全問題、エネルギー問題、資源問題、といった生活に深く関係した問題が、さまざまな場面で大きな課題を抱えていることが明らかになってきた。生活臭のある女性もともに活躍すべき分野が広がっている。そして、個別科学をつなぐ広大な領域で、多くの課題がわれわれを待っている。 ただ、若者がこういう分野にすぐに飛び込めるかどうかは、ちょっと疑問だ。なぜなら、まずは個別科学の分野でしっかり鍛えることがなければ、そこから広がった分野に挑戦しても、鍛え方が足りなくて挫折する場合も多い。よく若者こそ、新しい分野の挑戦者だ、学問は若い時代にこそ創造性を発揮できるのだ、というような言い方で、若者を叱咤(しった)激励する人もあるが、ちょっと待ってほしい。まずは、専門分野でしっかり鍛えるべきである。そこで身に着けた基礎力と企画力、それに創造的な研究ができる国際的な場でのコミュニケーションの基礎を固めておくことが大切だ。大学院教育はそのためにこそ重要である。それに続くポストドクター制度がうまく働けば、さらに強靭(きょうじん)な精神としっかりした研究者としての資質を養う場となる。 現実には、必ずしもポストドクターが、このような理想的な環境で育っているとは思えない現実もままあるが、理想はこうでなければならない。そうすれば、自ずと自分の能力にも謙虚になり、たくさんの人から学ぶ姿勢もできる。そうして初めて、他分野にも目を広げ、たくさんの学生たちからも学び、さらに市民の声からも学べる本当のインテリになるのだと思う。真のインテリとは、どういうものか、整理もしないで言わせてもらうと、 既成の概念やうわさにとらわれず事実を直視する 権威や肩書にとらわれない発想ができる まねでない独創的で人を動かす発想がある 目先にとらわれず、先を読む気風がある 権力にも世論にもへつらわず意見がいえる 議論相手から指摘されたら異見を改める 論理や発展の段階をきちんととらえられる 客観的な事実と希望や主観を混同しない 議論は勝ち負けより、高い認識への糸口 科学的合理的志向をあくまで貫き通せる 長らくいろいろな人と付き合ってきた私の率直な感想である。裏返せば、科学者にも、まだまだ真のインテリとは言えない人もたくさんいるな、と思うこのごろだということかな? 年をとっても、いろいろな分野に挑戦してみて、新たな学問の新しい息吹を持ち込みたいもの、とまだまだの自分を励ますこのごろである。 (注) Gerald Marwell and Pamela Oliver :“The Critical Mass in collective Action- A Micro-Social Theory”, Cambridge University Press
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